映画「蜜のあわれ」
4/2(土)新宿バルト9 15:10〜
映画「蜜のあわれ」観てきました。
室生犀星原作。二階堂ふみちゃん主演。
正直、すんごい期待してました。
観終えて、二階堂ふみちゃんの演技力というのは本当に素晴らしいと思いました。
あの映画を支えたのは彼女の演技です。
だだ、ちょいちょい演出がチープに見えてしまって、気持ちを載せきれないまま終わってしまいました。
わざとなのかなぁ。私には合わなかったな。
特に後半、真木よう子さん演じる幽霊が屋敷を平行移動するシーンには失笑してしまいました。
その後は悲しいシーンなのに、平行移動の余韻がずーっと残ってて......。
シリアスパートとシュールパートはもっとメリハリを付けてほしかったなぁ。
老作家と赤子が言い合うシーンも、赤子が喋ってるシーンが一箇所途切れて繋いだみたいになっていて(ユーチューバーの編集みたいな)そこも、えっ?ってなって冷めちゃった。
赤子が亡くなって、魂が赤い彗星となって空に......っていうのも、安っぽく感じてしまってうーん。
あと、微妙に登場してくるアクタガワ。
老作家は赤子の交尾宣言にいたく狼狽します。
そして、黄泉の世界(?)と繋がっている二階へと向かい、そこでアクタガワと語らうのですが、うじうじしている老作家にアクタガワは言います。「あらがうところがきみのよいところだよ」と。
で、その後老作家がどうしたって?
放心状態→赤子責めて、赤子出て行っちゃう。
おまえなにしてんねーん。ああいう、精神世界ど真ん中みたいなシーンは、己と向き合って改心するーみたいな表現のために使われると思うんですけど、なんにもかわらんのです。
あ、もしかすると、アクタガワとの話の最後に「死と税金からは逃れられないよ?」と言われていたので、それで放心状態→それで赤子に縋り付いた?
よくない方向に拍車をかけただけってこと?
その前の「あらがう〜」ってそういう意味じゃなくない?
そもそも、アクタガワ要りますか?
有名な文豪だから、バーター的に出演?
後ろで観ていた女子高生ぽい子達が、終演後「高良健吾かっこよかった〜」と言ってましたがそういう枠ってことかしら。
あと原作の印象では、老作家は女性に耐性がないのかやと思ってたんですけど、映画だとわりとチャラい。
赤子以外の女性との絡みシーンもあって、なんかショック。
性欲とはむつかしいというのは、叶いにくいからむつかしいのかなって思ってたんですけども。
ゆり子さんとの関係の微妙さ(絶妙さ)がこっちの女でもあって欲しかったんですけどね。
でも、二階堂ふみちゃんの衣装はとてもよかったです!
尾びれが浴衣のひらひらみたいなので表現されていてとても綺麗でした。
人間姿の衣装も、天真爛漫さを表していて、よく似合っていました。
原作は、幻想小説に分類される作品です。
室生犀星の作品はどれも根底に孤独の気配があるのですが、この作品は、その中で幻想と実存が混ざり合ったような世界が拡がります。
映画では、その感覚にハマりきれなくて残念でした。
二階堂ふみちゃんをはじめとする、役者の演技は良かったと思うし、真木よう子さんと
2人でゴロゴロ転がるシーンなんてとてもかわいらしかった。
原作が難し過ぎたのかな。
私が期待しすぎたのか、私の見方がわるいのか......。
ただ言えるのは、二階堂ふみちゃんの演技のためだけに1500円払っても無駄にはならないくらい、彼女は素敵だった!ということです。
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